引越しの挨拶した方がいいですか?
最近、ある生徒さんから受けたこの質問に、私は少しだけ驚いてしまいました。でも同時に、今の時代、挨拶は「当たり前のマナー」ではなく、勇気を出して「自分の心の扉を自分から開く」ための、とても能動的なアクションなのだと改めて感じたのです。
今日は、「引っ越して2日目。隣の家の人が夜中に爆音で…。」という、騒音トラブルをきっかけに「挨拶」の本質に触れたあるエピソードをご紹介します。
挨拶の語源を知っていますか?
実は「挨拶」という言葉、もともとは禅の言葉からきています。
- 「挨(あい)」:心を開く、押し出す
- 「拶(さつ)」:迫る、すり寄る
つまり、「自分から心を開き、相手の心に一歩近づく」という意味があるのです。ただの形式的なやり取りではなく、相手の存在を認め、自分の存在を差し出す。そんな深い意味が込められています。ひゅっと開けて、パァーっと入り込む感じです。
誰かと一緒なら、簡単かもしれないけど、一人だとなかなか、難しい。
でも、この記事を読んだ後は「まだ自分の周りに挨拶できてない人がたくさんいるわぁ」と気づき、勝手に挨拶運動をしたくなると思いますよ。
「騒音の苦情」の悩みが「挨拶と対話」に変わった話。
新居に引っ越して2日目の生徒さんから、「隣の人が夜中にうるさくて眠れない。私が過敏なだけでしょうか?」という相談がありました。大家さんへの相談を勧めると同時に、私はふと聞きました。
「ところで、お隣さんに挨拶はしたの?」
すると返ってきたのが、冒頭の言葉でした。
「挨拶した方がいいですか?うるさい方に昨日の夜、壁トントンってやっちゃいました。。。」
どんな人が住んでるか、見ておいたほうがいいんじゃない?両隣と上の人も。
緊張するけど、ピンポンしてみようかな。。。
大丈夫だよ。引っ越してきました。と存在を知ればさ、変に意地悪しなくなるから。まぁ、あなたの顔知ってますよ。という防犯の意味も込めて。
うん。どんな顔なのか気になります。身なり整えたら挨拶してみます。
隣の人うるさいからあっちいけ!と思ってクラスよりさ、なんかあったら声かけてくださいね。と言っておいて損はないと思うよ。お互い、知らない人は怖い。
そうか、
自分が好きなクッキー差し入れして、相手が帰ってくる頃、夕方にサクッと3分もかからんと思うよ。夜中の2時まで爆音な人はさ、よっぽど世の中に不安、不安を抱えている人だから。挨拶してあげて〜笑。
おそらく、「挨拶する」というミッションをクリアするためにぐるぐる悩んでいる姿が想像できますよね。手土産何にしようかな。怖い人だったらどうしようかな?やっぱり、やめようかな。今いるかな?とかね。。。。
驚きの変化
相談を受けた日の夕方、彼女から嬉しい報告がありました。
18:00
今さっき隣のファミリーに挨拶しました!最初、警戒されてましたが時間明けてまた行って、扉越しに挨拶して笑。最後は、お菓子を手渡しできました!優しそうなママとチビちゃん二人でした〜♪出てくれないのは予想外だったからかなり緊張しましたが、無事終わりました。
騒音の人にはうるさいこと伝えたいけど、まず存在を知ってもらうところから始めます。きっと、今日の夜もうるさいのだろうなとは思うのですが。。。笑笑
19:00
ゆうきさん!騒音の人に挨拶できました!!
なんか、どこかのヨガ教室で会った男の人に似ていて優しそうでした。
騒音のことも、言えそうだったから12時以降テレビの音うるさいから静かに〜って言っちゃいました笑。勇気をくださってありがとうございます!自信がつきました!
次の日の朝
挨拶してよかったでしょ?
挨拶して本当によかったです!今、隣にどんな人が住んでいるか知って安心してますし、爆音がなくなって気持ちよく寝れました。
いやぁ、、、この報告を受けて、一件落着。という感じ。ほっとしましたね。
勇気を出してえいや!と行動した本人も、ドアを開けてくれた隣人の方も、テレビの音量を静かに配慮してくれたことも、ありがたいです。
知らない人には「うるさい騒音被害に遭っているのよ私!」って苦情をいう。
▶︎知っている人となら「対話」で解決できること。
物騒な事件や、押売セールス回避のためにドアを閉ざす人も多いですよね。私もそう。だって、家族守りたいもん。
その気持ちも、共感できる。
私たちは、境界線をゆるませて壁を溶かしていくアクションを選べるといいねと話て終わりました。
挨拶は「あなたの存在を認めています」のサイン
挨拶をすることは、「私はあなたがここに暮らしていることを知っていますよ」という温かい眼差しを向けることです。
顔も知らない誰かが立てる音はただの「雑音」ですが、挨拶を交わした「あの人」が立てる音は、生活の営みを感じさせる「気配」に変わりますよね。
- 犯罪の抑制: 互いの顔を知ることで、心理的な壁ができる。
- 心の余裕: 差し入れをしたり、お裾分けをしたりといった、ゆるやかな繋がりが生まれる。
- 安心感: 「誰かがそこで生きている」という気配を尊いと思える。
生活のすべてが交わらなくてもいい。でも、自分から一歩踏み出し、心の扉を「エイッ」と開くことで、世界は驚くほど優しくなりました。
「挨拶はマナー」だった時代から、なぜ現代では隣人への挨拶が減ってしまったのでしょうか?
そこには、社会構造の変化や価値観の多様化、そして私たち自身の経験が複雑に絡み合っているようです。
防犯意識とプライバシー
昔は、地域社会が「お互い様」の関係で成り立っていました。挨拶は、その関係性を維持するための不可欠なマナーだった。だけど、都市化が進んで、隣に住む人の顔も名前も知らないことが珍しくない現代では、防犯意識の高まりやプライバシー重視の傾向から、挨拶を躊躇してしまうのも無理はありません。特にオートロック付きのマンションなどでは、共用部で他の住人と顔を合わせる機会も減り、挨拶をするきっかけ自体が少なくなっています。
私のエピソード:面倒な思い出と社会人の義務
さらに、挨拶に対するネガティブな経験も影響しているかもしれません。ここからは私のエピソードを紹介します。
子どもの頃、朝早く学校へ行って門の前に立ち、登校してくる生徒に「おはようございます」と挨拶をする「挨拶当番」経験を思い出します。当時の私は、それを「面倒」「嫌々やっている」と感じていたんです。義務感から行う挨拶は、心からの言葉ではなく、単なる形式的な行動になりがちです。その経験が、挨拶=面倒、形式的なもの、というイメージを植え付けてしまった可能性もあるなと振り返りました。
一方で、社会人になると、挨拶はビジネスマナーとして当然求められます。上司、同僚、クライアント、そして近所の人まで、スムーズな人間関係を築き、円滑に仕事を進めるためには欠かせないツールです。だけど、一方で「関わる人を選ぼう」といった自己啓発的な考え方から、「できるだけ知らない人とは関わりたくない」「挨拶されたら返すけれど、自分からはしない」といった、少し「上から目線」な態度になってしまうことがありました。
心の扉をこじ開ける?
では、なぜ挨拶がこれほどまでに重視され、求められ続けるのでしょうか?
それは、挨拶が持つ「心の扉を開く」力が、現代社会においても依然として重要だからです。私は、大人になって瞑想やヨガをやり始めてやっと挨拶の意味を知り、実践し出したのです。(30歳。気づくの遅すぎて人生で勿体無いことしたな。)
確かに、挨拶をされても「めんどくさいな」と感じることもあるでしょう。だけど、逆に自分が挨拶をされたとき、どう感じるでしょうか?
「無視された」「嫌がられた」と感じるよりは、「認識された」「受け入れられた」と感じる方が多いですよね?
「挨拶されたら、関わろうかな?」って思ったりして。。。
そう、あなたの心の扉は、挨拶によって少しだけ「こじあけられた」のかもしれません(笑)。
挨拶は、単なる言葉のやり取りではありません。「私はあなたの存在を認めていますよ」という、温かい眼差しを伝える手段です。それは、相手の警戒心を解き、心を開くきっかけとなり、そこから新たな関係性が生まれる可能性を秘めています。
挨拶は、自分から心の扉を開くための大切な行動。それは、防犯対策や人間関係の円滑化だけでなく、あなた自身の人生を豊かにする第一歩となるかもしれませんね。
まとめ
挨拶をするのは、自分の心を開いて、相手の心に飛び込むというアクション。慣れるまではとても「勇気のいること」ですが、日常生活で自分から挨拶をする。を実践していくと、相手の状況を気遣う言葉が出てくるし、対話で問題を解決していける世の中になっていくよなーと思います。
私たちは、境界線をゆるませるためのアクションを選んでいこうね!と思えるそんなエピソードでした。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
