節目。手に入れる、手放す。「手放したくない今」
今朝、長男の乳歯が抜けた。節目というのは、こんなふうに突然やって来るものだと実感した瞬間だった。
きゅうりをかじったときにポロッと抜けたその歯。「ママー!見て〜!」と駆け寄って来て見せてくれた。それを手に取ってみると、その小さな白い塊が今までの成長を物語っているように感じた。歯が抜けた瞬間、息子は少し誇らしげに笑っていた。でも、その小さな歯を手のひらにのせて見ると、私の心には複雑な気持ちが広がった。
成長への喜びと、何かを失ったような寂しさが入り混じり、胸がいっぱいになった。
その歯に触れるたびに、まるで映画のワンシーンのように、いろんな記憶がよみがえってくる。初めて泣いた顔、授乳の大変さ、スプーンをかじったときの笑顔。その一つ一つが、私の中で生き続けている。
たった5年と5ヶ月の記憶。でも、あの小さな歯が、私の中で大きな物語を語っている。
思い返せば、あっという間だった。気づけばもう、あの赤ちゃんの面影が少しずつ遠のいて、頼もしい少年に変わっていった。毎日一緒にいると、時の流れを意識することが少なくなるけれど、こうした「節目」の瞬間が、心に深く刻まれていく。手に入れると同時に手放す。成長の喜びの裏に、手放すことへの切なさが隠れていることに気づく。
今日はそのことを深く感じた。今、目の前の瞬間を大切にすること、そしてその瞬間を手放していくことが、私のこれからのテーマだと思う。瞑想やヨガを通して、「今ここ」に意識を向けることを日々実践している。しかし、こうした感情に向き合うと、過去の自分や未来への不安が蘇ることもある。これが人間らしさだと分かってはいるけれど、やはり、どこかで今を「持ち続けたい」と思ってしまう。
そして、不意に次男がやって来て、こんなことを言った。「僕も歯を抜きたい!」まだ2歳になったばかりの次男が、なぜか歯を抜きたがる。その言葉に私は思わず笑ってしまった。可愛い。兄に憧れて、真似をしたい年頃の弟。
「兄ちゃんの歯みたいに、僕も抜きたいんだね」と話すと、次男は嬉しそうに頷く。あまりに無邪気で、愛らしく、成長を感じつつもその無垢さに心を打たれる。兄に憧れる弟。その純粋な気持ちを見ていると、また別の種類の感情が湧き上がる。兄が成長し、弟もその後を追っている。大人の歯が後ろに控えていることを話しながら、少し寂しさとともに、これから始まる新しいステージを想像した。
この小さな「節目」が、私たち親子にとってどんな意味を持つのかを考えた時、ただ単に年齢を重ねていくだけではなく、全てがつながっていく感覚を覚える。成長の中での喜びと、同時に手放さなければならないものがある。それが人生の流れであり、次のステージへの進化でもある。
振り返ってみると、臨月のときにも似たような感覚を味わったことを思い出す。お腹の中で命が育まれている奇跡のような時間が、永遠に続いてほしいと思う一方で、早く会いたいという気持ちもあった。あの頃と同じように、「手に入れること」と「手放すこと」が同時に起きる瞬間が、節目の本質なのだろう。
大切な瞬間を手放したくない気持ちと、流れる時間を受け入れる心。その間で揺れ動くことで、私たちは成長していくのだと思う。
小さな歯を見つめながら、私はこの瞬間をもう少し抱きしめていたいと思う。そして、息子と一緒に「歯を屋根に投げる儀式」をするときには、少しだけ軽くなった心でその瞬間を迎えられる気がする。
今日も歯磨きの仕上げをしながら、「隣の歯も取れそうだね。」と話す。めんどくさいなぁ、と感じる歯磨きの仕上げもやらなくて良くなる日がいつの間にかやって来て、そんな日々があったことを忘れそうなので作文風の日記。
節目を迎えるたびに感じるこの相反する気持ち。その豊かさを味わいながら、今このここを感じる感性を磨いていきたいと思う。
これからもきっと、暮らしはめんどくさいけど、いつだって自分を豊かにしてくれることに感謝する。
2025.01.25